我が暮らし

40代、男、独身、自営業。父の介護が終わり、今のところゆっくりと過ごす日々なので、簡潔にくだらないことをつづっておこうかなと。

難病の対義語

【前置き】

ふざけた内容を簡潔に書くブログを目指して日々投稿してるのですが、今日は長文になるかと思います。長くて読みにくいと思うので【起承転結】を示してみます。

 

【起】

ブログの紹介文に書いてあるのですが、一昨年まで父の介護をしていました。

 

父は国の指定難病であるALSという病気にかかってました。病名を知らなくても、ホーキング博士参議院の舩後(ふなご)議員の病気といえば分かる方がいるかと思います。

 

もしくは、数年前に話題となった、氷水の入ったバケツを頭からかぶる動画をSNSにあげる「アイス・バケツ・チャレンジ」という運動を覚えている方があるかもしれません。あれはALSの啓発活動だったのです(が、氷水をかぶるアクションのインパクトが強すぎた感はありましたよね)。

 

ALSという病気は、日本語では「筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)」という、暗記して人に言いたい9文字熟語ランキング2位の言葉です。

 

ちなみに1位は、もちろん「臨兵闘者皆陳列在前(りんぴょうとうしゃかいちんれつざいぜん)」ですよね。小5男子あたりの大好物です。

 

ALSは、原因としては神経の病気なのですが、症状としては意識はしっかりしたまま徐々に筋肉が衰えて体が動かせなくなり、最終的には死に至る病気です。その特徴的な症状から「閉じ込め症候群」とも呼ばれ、現代の医学では完治する治療法のない非常に厄介な病気です。

 

【承】

父は戦後すぐのベビーブームど真ん中の生まれでした。当時としては珍しいことではありませんが、非常に貧しい家庭で生まれ育ち、小さい頃のクリスマスプレゼントが飴玉2個だったというエピソードは1万回ぐらい聞かされました。

 

学生時代はレスリング部で鍛え、結婚して3人の子供(兄、姉、自分)を年子でこしらえ、自営業を営むかたわら狩猟を趣味にし、休日は海や山へ行き、長期休暇では海外で狩猟をするというなかなかハードな生活する人でした。

 

その性格はというと昭和の頑固親父そのもので、ろくでなしブルース前田太尊(たいそん)の父・文尊(もんそん)と言えば分かる人には分かるかと思います。分からない人は前田文尊で画像検索してみてね。

 

そんな父が、今から7年前の69歳でALSと診断されました。振り返れば更にその2年前、父が67歳の頃から体の不調を訴えていましたが、その頃は「親父も年とったなぁ」と年齢のせいにして笑いながら話していたのを記憶しています。

 

病名がついた頃にはもうすで手足の筋萎縮は目に見えて明らかでした。もともと筋骨隆々な人でしたから特にその症状は目立ちました。

 

診断を受けた当時、3人の子供はそれぞれに生活しており、父は母と二人暮らしでした。自宅療養を選択した父を介護するのに母だけでは十分でないことは明らかでした。

 

兄、姉ともに家庭を持ち、兄は4人の子、姉は3人の子を育てていました。末っ子の私はというと結婚せずに1人で生活していたものですから比較的自由に見えたのでしょう(もちろん本人は自由とは微塵も感じていませんでしたが)、家族中からの視線が私に集まりました。

 

その視線を避けようと何度か体をくねらせてみたものの逃れることは出来ず、父の介護をするために仕事を辞め、20年弱住んだ東京から田舎に戻り家業を継ぐことにしました。

 

久しぶりの親子での共同生活に当初は若干の照れ臭さと喜びはあったものの、介護と家業の忙しさでそんな気持ちはすぐに吹き飛びました。

 

【転】

介護を始めて数日経ったある日、初めて病院へ付き添いをしたときのことです。

 

当時父は杖をつきながらではありますが、かろうじて歩行することは可能でしたので、移乗の大変さはありませんでした。

 

しかし、ALSの最も厄介なところは呼吸が苦しくなることです。先にALSは筋肉が衰える病気であると説明しましたが、呼吸も筋の作用ですから、自発呼吸がしにくくなるのです。また喉にからんだ啖も吐き出しにくくなります。

 

その日も待合室で何度も苦しそうにしていたのを覚えてます。

 

大病院では普通のことですが、長い待ち時間に比べてあっという間の診察が終わり、処方箋を受け取りました。

 

なるべく早く帰宅するために病院に隣接する薬局で薬を受けとるために車に乗り込んだところ、父が別の薬局を指定してきました。その薬局は病院から家に帰るには遠回りになるお店でした。

 

早くベッドで休ませてあげたいと親を思い遣る子は、目の前にある薬局の方が良いことを伝えましたが、父は再び指定した薬局へ行くよう指示してきました。

 

父に理由を尋ねたところ、啖のからんだ苦しそうな声でゆっくりと言いました。

 

「あっちの店だと、

 

 

 ポイントが、

 

 

 貯まる」と。

 

 

私はこの言葉に吹き出してしまいました。

 

今思うと、介護を始めたばかりの当時は、生まれ育った田舎とは言え20年間離れていた場所で生活を始めたこと、また病気に蝕まれていく「弱くなった父」を受け入れられていなかったことから、どこかしら非現実的な日々を過ごしており、そんな中で聞く「ポイント」という極めて日常的な言葉のギャップに笑ってしまったのだと思います。

 

助手席に座る母も笑っていましたが、父は私がなぜそんなに笑ってるか分からないといった表情をして後部座席に座っていました。そんな父をバックミラー越しに一瞥して、私は車を父の指定する薬局へ走らせました。

 

「ポイ活かい…」というわたしの小さなつぶやきは、車の走行音と車載テレビの音にかき消され、5月の昼下がりの空に消えていきました。

 

 

【結】

父はそれから5年間の壮絶な療養生活の末、一昨年に逝きました。その間に本当に様々なことがあったのですが、この出来事をきっかけに肩の力が抜けた私は、気負うことなく介護を続けられたのかと思います。

 

この経験から私は、

 

難病や死といったネガティブな言葉の対義語は「ポイント」なのではないかということ、

 

そして、日本だけではなく多くの先進国が直面している介護問題は、こんな些細で、くだらないことがポイントになるのではないか(←うまいこと言えた~👏)、

 

ということを学びました。

 

その一方で、楽天カードマンやポン太などポイントカードのキャラクターを見るたびに、今は亡き父を思い出してしまう体になってしまった、というのは余談です。

 

 

 

長々と失礼しました。読んでくれた方、ありがとうございます。次回以降はいつも通り、簡潔でくだらないこと、を書いていくと思いマス。

 

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